私の出会った人々

「花音」

    脳梗塞後、京都府中丹支援学校副校長で職場復帰、定年退職後、リハビリを兼ねて地元のいろいろな場所に出かけた。 

 綾部グンゼスクエアの薔薇園では、温かいオレンジ色に赤い覆輪が入る、色彩のあでやかなアンネのバラを背景にお互いの写真を撮り合いながら仲良く微笑む老夫婦をみて、あらためて平和の素晴らしさを実感した。

 また、同じ綾部の東光院では、雨上がりの後の鮮やかな青の紫陽花に誘われ、牧師の弟の肩を借りて石段を上ると千個の風鈴が出迎えてくれた。初夏の爽やかな風に揺られ和のヒーリング音楽を奏でる風鈴たち。思い思いに描かれた風鈴たちはみんな違ってみんないい。

 

私の出会った人々

「教え子」

 先日、「山口先生、12月にリーガロイヤルホテル大阪で巡回展をするのでぜひ来てくれませんか」といううれしいメールを貰った。「必ず行くよ。連絡ありがとう」と即座に返信。

 奈良県五條市立五條中学校教諭時代の教え子の片岡司君からだった。今や彼は平成琳派として名を馳せる風景写真家。高野山金剛峯寺や明治の迎賓館として知られる長浜の慶雲館に作品を奉納し、TVでも活躍している。慶雲館では、明治天皇玉座の間に彼の作品は展示されている。東京の新宿での個展を無事終えたばかりの彼の一服の絵画を彷彿させる美しいアートのような写真には心を奪われる。ネット上の彼をみて屈託のない好奇心旺盛な笑顔は30年前のままだなと微笑んでいる。

 巡回展に出かける12月の大阪は華やかなクリスマスモードで包まれていることだろう。平成30年冬の夜、当時京都府立与謝の海支援学校副校長だった私は、出張先の大阪市内のホテルの部屋で脳幹部の梗塞で倒れて救急搬送された。同市内の病院で3カ月寝たきりとなり生死の境を彷徨ったのが遠い昔のことのようだ。ちょうど同じクリスマスシーズンだったと感慨深い。生きているからこそ再会も叶うのだとつくづく思う。

私の出会った人々

「教え子」

 先日、「山口先生、12月にリーガロイヤルホテル大阪で巡回展をするのでぜひ来てくれませんか」といううれしいメールを貰った。「必ず行くよ。連絡ありがとう」と即座に返信。

 奈良県五條市立五條中学校教諭時代の教え子の片岡司君からだった。今や彼は平成琳派として名を馳せる風景写真家。高野山金剛峯寺や明治の迎賓館として知られる長浜の慶雲館に作品を奉納し、TVでも活躍している。慶雲館では、明治天皇玉座の間に彼の作品は展示されている。東京の新宿での個展を無事終えたばかりの彼の一服の絵画を彷彿させる美しいアートのような写真には心を奪われる。ネット上の彼をみて屈託のない好奇心旺盛な笑顔は30年前のままだなと微笑んでいる。

 巡回展に出かける12月の大阪は華やかなクリスマスモードで包まれていることだろう。平成30年冬の夜、当時京都府立与謝の海支援学校副校長だった私は、出張先の大阪市内のホテルの部屋で脳幹部の梗塞で倒れて救急搬送された。同市内の病院で3カ月寝たきりとなり生死の境を彷徨ったのが遠い昔のことのようだ。ちょうど同じクリスマスシーズンだったと感慨深い。生きているからこそ再会も叶うのだとつくづく思う。

私の出会った人々

「茶粥」

 「おかいさん」といわれる奈良の「茶粥」は、煮出したほうじ茶の中に冷やごはんを入れて炊いた奈良の代表的な日常食。

 当時奈良県五條市立五條中学校教諭だった私は、京都府にあらたに赴任するため住み慣れた奈良県五條市のアパートから引っ越すこととなった。引っ越しの数日前、アパートの前に住んでいらっしゃった大家さんに招かれ、「これからの君の幸せを祈ってるよ」と大鍋に炊かれた茶粥をご馳走になった。初対面の日が最後の日となった大家さんの優しい眼差しとはじめて食べた茶粥のほうじ茶が醸し出すまろやかでおだやかな味わいを今も忘れない。大和の人情厚きことを再認識した瞬間でもあった。

 先日起業家として活躍中の五條市立五條中学校の教え子の1人と福知山駅で再会した。TVでもお馴染みの写真家、世界中を飛び回っている外交官等々当時の多士済々の教え子たちと茶粥を囲んで同窓会がしたいと夢見ている。

私の出会った人々

「友へ」

 藤井輝明さん(以下藤井さん)は故松下幸之助氏が私塾として立ち上げた松下政経塾(京都)でともに学んだ同志である。藤井さんは、海綿状血管腫という病気のため顔に瘤状の大きな痣があった。そのため子どもの頃から酷いいじめに遭い、大学卒業前の就職面接では、面接官から「その化け物みたいな顔では営業は無理だね。」と言われた。藤井さんが名古屋大学医学部の大学院生、私が中学校教員をしている時、藤井さんの誘いで京都市内の銭湯で高齢者や障害者の入浴を介助させていただく無償ボランティアに参加させていただいた。「どこか痒いところはないですか」と笑顔で利用者の背中を流す藤井さんの顔には大粒の汗が滴りとても美しかった。「僕の顔の痣を嫌って避けられる利用者の方もあるんですよね」と寂しそうに語る藤井さんの言葉に胸が締め付けられた。その後、熊本大学鳥取大学の医学部教授の激務の中、藤井さんは、全国の学校を飛び回り、自分の瘤状のふわふわした痣を子どもたちに触ってもらうことで見た目差別の解消に尽力した。令和3年の春、勤務していた大学から自転車で帰宅途中、享年64歳で突然天に召された。子ども好きだった藤井さんの5月5日の逝去の報に涙があふれた。脳梗塞から京都府中丹支援学校に副校長で職場復帰、定年退職した私に再会を楽しみにしていると電話してくれた矢先のことであった。「山口さん、僕は笑顔で生きると決めたんです」という藤井さんの遺してくれた志は、今も私の胸に清々しく生き続けている。
 先日、ノンフィクション作家であり、ジャーナリスト、評論家、ユニークフェイス当事者運動の創始者でもある石井政之さん(以下石井さん)が、福知山市の私の自宅を訪れた。石井さんがYouTubeで発信する石井さんと私の対談を撮影するためである。対談の内容は、藤井さんと私との交流のYouTube版。石井さんのナビに私が応えるスタイルで対談は進む。対談では私目線での藤井さんの実像を語る。石井さんも顔に痣があり、藤井さんは、石井さんと私の共通の友でもある。
 「ユニークフェイス・チャンネル 第1回 藤井輝明さんについて語る 」より

私の出会った人々

「一歩踏み出す勇気」

 大学の先輩である宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」。最初は臆病だった主人公の千尋が不思議な体験を通して成長していく物語は、「もっと自分に自信を持ちたい」という方にぜひお勧めの作品である。

    脳梗塞の後遺症改善のためにリハビリ入院をしていた京都協立病院では、医療従事者の皆さんから一歩踏み出す勇気をいただいた。  

 歩行器でトイレに行こうとして転倒して落ち込んでる私に「進もうとしたから転んだんですよ。ドンマイ!」と笑顔をくれた女性看護師さん。

 摂食訓練のため自分で食道にチューブを挿入しての三食が辛くてやめたいと言う私に「やめたくなるのは、闘ってる証ですよ。」と励ましてくれた女性言語聴覚士さん。

 退院間際、リハビリに出かけた病院近くの高津駅で杖を支えに満開の桜を見上げ感無量の私に「苦しんだ分、幸せがありますよ。」と背中を押してくれた理学療法士さん。

 入院後、初めて自分の口から昼ごはんを食べた時、手作りの甘い芋きんとんを食べさせてくれた管理職栄養士さん。 

 「たくさんの勇気をほんとうにありがとうございました。」

私の出会った人々

「一歩踏み出す勇気」

 大学の先輩である宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」。最初は臆病だった主人公の千尋が不思議な体験を通して成長していく物語は、「もっと自分に自信を持ちたい」という方にぜひお勧めの作品である。

    脳梗塞の後遺症改善のためにリハビリ入院をしていた京都協立病院では、医療従事者の皆さんから一歩踏み出す勇気をいただいた。  

 歩行器でトイレに行こうとして転倒して落ち込んでる私に「進もうとしたから転んだんですよ。ドンマイ!」と笑顔をくれた女性看護師さん。

 摂食訓練のため自分で食道にチューブを挿入しての三食が辛くてやめたいと言う私に「やめたくなるのは、闘ってる証ですよ。」と励ましてくれた女性言語聴覚士さん。

 退院間際、リハビリに出かけた病院近くの高津駅で杖を支えに満開の桜を見上げ感無量の私に「苦しんだ分、幸せがありますよ。」と背中を押してくれた理学療法士さん。

 入院後、初めて自分の口から昼ごはんを食べた時、手作りの甘い芋きんとんを食べさせてくれた管理職栄養士さん。 

 「たくさんの勇気をほんとうにありがとうございました。」